2011年08月19日
はじめまして!
うーんと・・・
知人の勧めもあって、ブログを始めることにしました。
まずは、挨拶から。
はじめまして、『オキフクサービス』の加藤です。
ブログの説明文にも書きましたが、今月独立したばかりで、住宅の水廻り設備のメンテナンスや洗浄を主にしている会社を営んでいます。
名前からも判るように、僕は本土の出身です。
沖縄には23歳の時に単身移住してきました。
今年で34歳になりますので、丸10年以上沖縄で生活しています。
「どうして沖縄に来たの?」とは、お客さんから、いつも聞かれることなのですが、実は僕が最初の沖縄に来たのは、小学6年生の時に2才上の兄貴と二人で沖縄に来たことがあるんですが、それが最初の沖縄でした。
何故、子供2人だけで、遠く沖縄を訪れたかというと、僕の母親の強い勧めがあったからなんです。
僕たち兄弟が来沖する少し前、母親は社員旅行で沖縄を観光に行ったのですが、その時に、沖縄のバスガイドさんから沖縄の歴史(悲しい歴史ですが・・・)の話を聞き、それでも明るく、逞しく生きている沖縄の人の大らかさ、強さを目の当たりにして、ものすごく感銘を受けたそうです。
僕たち兄弟は(下に妹もいますが)、父方の実家での育ちですが、幼いころから父親は居なく、半分母子家庭みたいな環境で育ちました。
小さい頃から、母親は仕事の帰りも遅く、僕たちが眠るころに帰ってくるのが当たり前の状態でした。
今にして思うと、母は、僕たち子供に対して、何かしらの罪悪感を感じていたのかな?と思います。
そんな母親からは、いつも、子供だけで色々な経験をさせられてきました。
子供心には毎日が冒険で、大人も知らないような経験をしているのはなんだか自慢だったのを覚えています。
忙しさの中で、かまってあげれない子供たちに対する母親の教育だったのかなと、今となっては感じます・・・
さて、そんな折、母親は沖縄から帰ってくるなり、「あんた達も沖縄を見に行きなさい!」と、急遽、夏休みを利用して沖縄に行くことが決まりました。
急に何で?と思ったのを記憶していますが、それは子供心ですから、遠い南国に旅行に行けるということで嬉しさの方が強く、深く考えずに、「やったー!」で終わったのですが・・・
その時に体験した沖縄の思い出は今でも鮮明に覚えているくらい、子供心には衝撃の連続でした。
当時はハブ対マングースの真剣勝負もまだありましたし、見たこと無い食べ物が市場にはあふれているし・・・
あちこちにバリケードがあって、アメリカ人の兵隊がたむろしてるし・・・
正直、同じ日本とは思えなかったのを記憶しています。
とにもかくにも、少年だった僕の心は強く刺激されました。
やがて、「沖縄で人生を過ごしたい」という想いは、僕の中で着実に膨れ上がっていき、学生生活を終え、いくらかの軍資金を稼いだ僕は、バイクに乗って、沖縄を目指す旅に出ました。
・・・・これが、僕が沖縄に来ることになった経緯です。
沖縄での生活は初めのころは苦労も多く、辛い日々もありましたが、今になれば、すべてが良い思い出ばかり。
まぁ、そんなことは、いずれ書くとして、今では沖縄で結婚もし、子供も生まれ充実した毎日を過ごしています。
今回、正直言うと充分な準備の無い中で独立することになり、廻りの人たちの協力もあって、少しずつ形にしていっている状態です。
こういうブログの場の中で、会社の宣伝などもそうですが、お世話になった方への感謝の言葉を言える場所にしていければなと思います。
なんか、無駄に長くなってしましましたが、挨拶はこんなもんですかね
それでは、これからも宜しくお願いします!
知人の勧めもあって、ブログを始めることにしました。
まずは、挨拶から。
はじめまして、『オキフクサービス』の加藤です。
ブログの説明文にも書きましたが、今月独立したばかりで、住宅の水廻り設備のメンテナンスや洗浄を主にしている会社を営んでいます。
名前からも判るように、僕は本土の出身です。
沖縄には23歳の時に単身移住してきました。
今年で34歳になりますので、丸10年以上沖縄で生活しています。
「どうして沖縄に来たの?」とは、お客さんから、いつも聞かれることなのですが、実は僕が最初の沖縄に来たのは、小学6年生の時に2才上の兄貴と二人で沖縄に来たことがあるんですが、それが最初の沖縄でした。
何故、子供2人だけで、遠く沖縄を訪れたかというと、僕の母親の強い勧めがあったからなんです。
僕たち兄弟が来沖する少し前、母親は社員旅行で沖縄を観光に行ったのですが、その時に、沖縄のバスガイドさんから沖縄の歴史(悲しい歴史ですが・・・)の話を聞き、それでも明るく、逞しく生きている沖縄の人の大らかさ、強さを目の当たりにして、ものすごく感銘を受けたそうです。
僕たち兄弟は(下に妹もいますが)、父方の実家での育ちですが、幼いころから父親は居なく、半分母子家庭みたいな環境で育ちました。
小さい頃から、母親は仕事の帰りも遅く、僕たちが眠るころに帰ってくるのが当たり前の状態でした。
今にして思うと、母は、僕たち子供に対して、何かしらの罪悪感を感じていたのかな?と思います。
そんな母親からは、いつも、子供だけで色々な経験をさせられてきました。
子供心には毎日が冒険で、大人も知らないような経験をしているのはなんだか自慢だったのを覚えています。
忙しさの中で、かまってあげれない子供たちに対する母親の教育だったのかなと、今となっては感じます・・・
さて、そんな折、母親は沖縄から帰ってくるなり、「あんた達も沖縄を見に行きなさい!」と、急遽、夏休みを利用して沖縄に行くことが決まりました。
急に何で?と思ったのを記憶していますが、それは子供心ですから、遠い南国に旅行に行けるということで嬉しさの方が強く、深く考えずに、「やったー!」で終わったのですが・・・
その時に体験した沖縄の思い出は今でも鮮明に覚えているくらい、子供心には衝撃の連続でした。
当時はハブ対マングースの真剣勝負もまだありましたし、見たこと無い食べ物が市場にはあふれているし・・・
あちこちにバリケードがあって、アメリカ人の兵隊がたむろしてるし・・・
正直、同じ日本とは思えなかったのを記憶しています。
とにもかくにも、少年だった僕の心は強く刺激されました。
やがて、「沖縄で人生を過ごしたい」という想いは、僕の中で着実に膨れ上がっていき、学生生活を終え、いくらかの軍資金を稼いだ僕は、バイクに乗って、沖縄を目指す旅に出ました。
・・・・これが、僕が沖縄に来ることになった経緯です。
沖縄での生活は初めのころは苦労も多く、辛い日々もありましたが、今になれば、すべてが良い思い出ばかり。
まぁ、そんなことは、いずれ書くとして、今では沖縄で結婚もし、子供も生まれ充実した毎日を過ごしています。
今回、正直言うと充分な準備の無い中で独立することになり、廻りの人たちの協力もあって、少しずつ形にしていっている状態です。
こういうブログの場の中で、会社の宣伝などもそうですが、お世話になった方への感謝の言葉を言える場所にしていければなと思います。
なんか、無駄に長くなってしましましたが、挨拶はこんなもんですかね
それでは、これからも宜しくお願いします!
Posted by オキフク at 20:23│Comments(2)
│ハウスクリーニング
この記事へのコメント
オキフクさん?加藤さん?はじめまして~
色々と大変だとはおもいますが、頑張ってください!
ブログも続けてね~◎
色々と大変だとはおもいますが、頑張ってください!
ブログも続けてね~◎
Posted by Toshiyukikuchi at 2011年08月19日 20:34
マサトシさん、チバリヨー(^^)
Posted by 比嘉勇樹 at 2011年08月27日 09:05